立正佼成会 庭野日鑛会長 7月の法話から

画・茨木 祥之

全ての衆生と共に

私たちは、経典を朝夕に読誦(どくじゅ)しているわけですが、その最後に「普回向」があり、「願わくは此(こ)の功徳を以(もっ)て 普(あまね)く一切に及ぼし 我等(われら)と衆生と 皆共に佛道を成(じょう)ぜん」と唱えます。この一句が、法華経の菩薩道の精神を最も簡明に表しています。

「普回向」では、自分一人の解脱、悟りは問題ではありません。「この功徳は、自分のためのものではなくて、世のため、人のためのものであります。願わくは、これによって全ての衆生と共に仏になりたい」――そういう願いを込めて、唱えさせて頂いているわけです。

宮沢賢治の有名な言葉があります。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

これは、法華経の「普回向」の精神を表したものであるといわれています。私たちは、自他共に仏道を成じて、皆が幸福になりますようにという願いを持って、法華経の信仰に励んでいるのです。
(7月1日)

精進に終わりなし

白隠禅師(臨済宗中興の祖といわれる江戸中期の禅僧)の言葉に、「大悟十八度、小悟数を知らず」というものがあります。大きな悟りは十八回、小さな悟りは数え切れないという意味になります。

私たちは、「自分が悟った」「自覚した」という気がしていたとしても、白隠禅師のこの言葉のように、一回で悟れるわけではありません。ある段階で悟ったと思っても、それで終わりではなく、その後も新たな気づきを得ていくことになります。「これで卒業」ということはないのです。

ですから、「こんなことを悟った、自覚をした」ということがあっても、それを捨てて、人格をもっと高めたり、実践したりということが一生続いていくことになります。「精進、精進、死ぬまで精進、生まれ変わったらまた精進」ということです。
(7月4日)