立正佼成会 庭野日鑛会長 7月の法話から

7月に行われた大聖堂での式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。

生かされてある“いのち”に感謝

私たちは、自分の意思によって生まれたのではありません。生まれた瞬間から、死の瞬間に至るまで、心臓と呼吸は、瞬時といえども止まることはありません。私たちが意識しなくても、眠っている間であっても、心臓は動き、いつも呼吸をしています。生きるとは、そこが一番の元であります。

しかし、今、私たちが生きているのは、心臓と呼吸という二つの働きのおかげだけではなく、宇宙の根本的な力と申しましょうか、そうした働きによって生かされているということです。その一つを考えただけでも、本当に有り難い。さらには、「有り難い」という言葉では言い切れないほど、不可思議ないのちを頂いているのです。

いろいろなことがありましても、私たちは、まずそうしたことに感謝をする。そのことが、人間としての智慧(ちえ)、大きな叡智(えいち)とも言える大事なことだと思います。
(7月1日)

地獄も、仏界もわが心に

仏教では、「仏」とか「地獄」は、人間の心の外にあるのではなく、実は心の中にあると教えています。私たちはこの娑婆(しゃば)世界ではなく、どこか他に、もっと良い所、きれいな所があると思ったり、話したりしますが、実は人間の心の中に、仏も地獄も全部あるというのです。

心に迷いが生じ、その迷いが甚だしくなり、他の人間や自然に向かって怒りの心を持つようになると、人の心の中に地獄界が現れる。また、自分と他の人とが、本当は一つであるということが分かり、全ての物や人に対して、慈悲の心を持って向かうことができるようになると、心に仏界、仏の世界が現れる――このように仏教では教えられています。

そして、大乗仏教では、「娑婆即寂光土(しゃばそくじゃっこうど)」と教えています。娑婆は、苦しみの多い世界といわれておりますが、その娑婆が、本当は寂光土なのだ、理想の世界なのだということです。簡単には、そのように受け取ることはできませんが、今申し上げたように、私たちの心の中に地獄界もあれば、仏界もあるということをよく認識すると、そのことが分かってきます。

皆が菩薩の心になり、仏を目指して精進する時、そこに寂光土が現れる――大乗仏教の法華経を信じる者として、しっかりと学んでまいりましょう。
(7月1日)

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