イスラームの世界~あなたの上に平安あれ(7) 写真・文 奥田敦(慶應義塾大学教授)

撮影協力・東京ジャーミイ・トルコ文化センター

ハラール食は幸福食

イスラーム教徒は豚がダメ、ヒンドゥー教徒は牛がダメ。そんな風に、宗教的なタブーとして、イスラームにおける豚が捉えられてはいないであろうか。イスラームは、創造を行う側と、創造されたものの間に超えることのできない一線を画する。したがって、豚が神と崇(あが)められているとか、神を載せている動物が豚だとかといった理由で豚が特別視されることはない。

何が禁止の根拠をなすのかといえば、アッラーの言葉である聖典クルアーンか、あるいは、預言者ムハンマドの言行にあるかどうかなのである。アッラーが許したもの、アッラーの基準で合法的なものをハラールという。ハラール食というと、宗教食・戒律食という風に思われるかもしれないが、実は、イスラーム教徒の間だけにとどめておくにはもったいない食の考え方がそこにはある。

だが、豚は、そんなに憎まれ嫌われているわけではない。なにしろ豚もまた、めでたくアッラーによって創造されている。アッラーの創造は、すべて人間たちの用に供するためとクルアーンにはあるので、豚自体が何の役にも立たない、ただただ禁じられる存在というわけではない。食べたいものを食べなさいというのがイスラームの食に関する大原則だ。ただ、それでも豚肉はやめておけというのである。豚ではなく、豚肉。理由も清浄でないからとクルアーンにある。

アッラーはムハンマドに次のように言うよう命じている。≪わたしに啓示されたものには、食べ度(た)いのに食べることを禁じられたものはない。只(ただ)死肉、流れ出る血、豚肉――それは不浄である――とアッラー以外の名が唱えられたものは除かれる。だが止むを得ず、また違犯の意思なく法(のり)を越えないものは、本当にあなたの主は、寛容にして慈悲深くあられる。≫(家畜章145)。

豚肉が、羊や牛や鶏などの食肉に比べ、多くの細菌を含んでいることは、科学的にも明らかで、それが証拠に、豚肉を盛んに食べる文化圏にあっても、あえて生で食べる人はいない。大抵はどこかで学んでいるはずだ。こうした当たり前のことが書かれている書としてクルアーンには価値がある。

さらに生命の維持などでやむを得ない場合には、それを食べても、アッラーは許してくださるともクルアーンにはある。となると、豚肉のみならず、豚の骨だとか皮に由来するものについても、食べ物以外についてさえも執拗(しつよう)に排除しようとする、ハラール認証にありがちな態度が、アッラーに命じられたものであるかどうかは、よくよく見直してみる必要がある。

ムハンマドが生きた当時のアラビヤ半島に冷蔵庫などありはしない。そんな場所で豚肉は食べないに越したことはなさそうというのは想像がつく。とんかつ好きの方だって、自重するというものではなかろうか。食べて体を壊し、命の危険にまでさらされるようなら、本人は苦しいし、家族や友人は悲しいというもの。不幸をあえて背負い込むことはない。つまり、宗教的なタブーで根拠もなく忌み嫌うというのとは異なるということなのだ。

お酒で失敗しないために

ハラール認証の有無にかかわらずイスラーム教徒をもてなすレストランが増えている(写真は神奈川・藤沢市にあるKABAB HOUSEのメニュー)

食べ物で禁じられているのが豚肉だとすれば、飲み物のほうはアルコールである。これにも理由がある。闇雲(やみくも)に禁じているわけではない。理由は、理性を狂わせるから。酒酔い運転の車を考えればよい。判断能力が欠けて暴言の一つも吐けば、交通事故ならぬ、人間関係上の事故が起きる。酔っぱらっての失敗というのは誰にでもあるものだろうが、時に身体的あるいは精神的に他人を傷つけてしまうこともある。そんな事態に陥らないよう、とりあえず酒はやめておく。飲みすぎれば、体を壊すのも自明である。ここにも、不幸の種がたくさん埋まっているといってよい。
理性でさんざん考えても間違えるのが人間である。それが酒など飲んだ時には、手に負えなくなってしまうのではないか、とイスラーム教徒になる前には多少は酒もたしなみ、酒に飲まれた経験もあるわたくしは強く思う。

酒の禁止には、クルアーンは慎重で、まずは酔っぱらって礼拝するなというところから始まり、次には、酒には良いところがあるが、悪いところのほうが多いよねと冷静に比較して見せ、最終的に禁止に至っている。物事、急には達成されない。現実を踏まえつつ少しずつ着実にやっていこうという、現実性という性質をイスラーム法が持っているときの引き合いに出される例である。こうして幸せも少しずつ達成されていく。

みんなに優しい食のあり方

海鮮のBBQもハラール(神奈川・茅ヶ崎市にある湘南浜焼きセンター 海女小屋のメニュー)

「酒とは酩酊物(めいていぶつ)である」という、有名なムハンマドの言葉がある。酔わせるものが酒なのである。したがって、発酵を止めたり、保存性を高め、日持ちを向上させたりという目的で用いられるアルコールは、酩酊物ではないし、むしろ人を幸せにするのだから、禁じられる筋合いにない。餃子の皮に、「酒精」が添加されていて、だから餃子を食べたかったら皮から作るしかないと思い込んでいるイスラーム教徒も実際多いけれど、冷静に考えれば、これも日持ち向上のための添加物。酩酊物とは言えない。

消毒、殺菌にもアルコールが使えないと考えている人たちがいるが、これも本末転倒だ。豚肉は汚いから禁じられたのである。アルコールを使った消毒や殺菌が禁じられるのはおかしい。アラブ世界においても医療の現場では普通にアルコールを消毒殺菌に使う。

話を食肉に戻すが、羊にしても、牛にしても屠畜(とちく)方法が決められているため、イスラーム教徒用の肉の生産には、手間がかかることになる。牛の場合にまとまった量を生産しようとすれば、大型の機械の導入が必要で、コストもばかにならない。しかし、それもできるだけ家畜に恐怖や苦痛を与えずに屠(ほふ)ろうというイスラームの教えの実践である。私たちに、命と引き換えに食肉を提供してくれる羊や牛に対し、せめてもの最後の気遣いである。もちろん、その屠畜法は体内に血液が残らないようにする方法でもあり、食肉の品質に直結する。血が残った肉は傷みやすく、味も落ちるからだ。こうして、自分たちだけが安全においしく食べて幸せになればよいのではなく、家畜たちがこの世を去る瞬間まで愛情を持って大切にする。そんなありがたい肉が、ハラール肉なのである。

食べる側だけでなく、家畜や環境も含めてみんなに優しいハラールというイスラームの食のあり方。屋外でのBBQが格別に楽しい季節だ。そんな集まりに、みんなの幸せが詰まった「幸福食」は、いかがだろうか。

【お知らせ】奥田敦研究室では神奈川県と、県内35カ所のレストランを英文で紹介する『ムスリムフレンドリー・レストラン・ガイドブック神奈川』(改訂増補版)を制作。http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/875404.pdfよりダウンロード可

プロフィル

おくだ・あつし 1960年、神奈川県生まれ。1984年、中央大学法学部卒。現在、慶應義塾大学総合政策学部教授。法学博士。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科委員。SFC研究所イスラーム研究・ラボ代表。シリア国立アレッポ大学学術交流日本センター副所長。専門はイスラーム法およびその関連諸領域。著書・訳書・論文・共著の書籍など多数。『イスラームの人権―法における神と人―』(慶應義塾大学出版会)は、イスラームの心を伝える日本では数少ない著作である。