イスラームの世界~あなたの上に平安あれ(5) 写真・文 奥田敦(慶應義塾大学教授)

撮影協力・東京ジャーミイ・トルコ文化センター

纏うファッション 見せるファッション

今年の初め、相模湾に富士山がくっきりと浮かび上がる冬晴れの江の島に、インドネシア人の2人の女子学生らと共に訪れた。小田急電鉄が、2020年に向けて増加が見込まれる東南アジアからのイスラーム教徒の観光客のため、江の島のムスリム向けモデルツアーを作ろうというのだ。これは、神奈川県とわたくしが代表を務める慶應義塾大学SFC研究所イスラーム研究・ラボの共同事業の一環であり、小田急電鉄との企画としては、インドネシアで大きな反響を得たという昨年のムスリム向け箱根モデルツアーに続く第2弾である。

インドネシアといえば、近年、ヒジャーブ(イスラーム教徒の女性が頭に纏=まと=うスカーフ)着用者が急増し、多くの雑誌が創刊され、政府も「ムスリムファッションのキブラ(礼拝の際に向くメッカの方向)を目指す」と意気軒高だという。インドネシアのムスリマ(女性のイスラーム教徒)ファッションで、とにかく特徴的なのは、色鮮やかさ。原色が共演する熱帯雨林の世界を彷彿(ほうふつ)とさせる。

さて、江の島。カメラマンの求めがわかっているかのように、自然に風景を指さす2人の服装から原色は目に飛び込んでこない。くすんだ濃いブルーにあずき色。そしてグレーあるいは黒でまとめたファッションだ。海をバックにした風景にも、島内の風景にも、あるいは仲見世通りの往来にも決して浮くことがない色使いである。

もちろん個人の好みの問題もあるので、一概に言えないが、彼女たちのファッションを見て、ファッションには大きく二つの種類があることを思い出した。纏うファッションと見せるファッションである。纏うファッションでは、美しさを纏う。見せるファッションでは、美しさを見せる。両者の違いは、美しさの在処(ありか)だ。纏うファッションでは、美しさはファッションの中にある。見せるファッションでは、見せるべき美しさは、ファッションそのものというより、着ている人の方に求められる。

アッラーは完璧な色使いをなしたもう

纏うファッションでは、着ている人の美しさは、あえて隠す。ムスリムのファッションが、髪を隠し、身体の線を隠すのは、それが纏うファッションだからにほかならない。着ている人がもっているこうした美しさは、ごくごく身近な人とだけ共有できればよい。これに対して見せるファッションでは、着ている人の美しさを見せなければならない。いや、もっと言えば、着ている人が美しくなければならない。この要求に耐えられる人がさほど多くないことは自分自身を振り返ればわかることだ。

自然の中に溶け込む美しさ

もう2年前になるが、イスラーム教徒用にリメイクした和服が卒業制作として提出されたことがあったが、纏うファッション同士だからこそ成り立つ試みとも言える。したがって、和服もまた纏うファッションに分類しうる。美しさを纏って、自然の中に溶けるように暮らすための服が和服であるとも言えそうだ。

余談ではあるが、纏うファッションで暮らしていた人々が、見せるファッションの洗礼を受けて、見せる自分がいないことに今さらながらに気づき、ブランドに走り、あるいは、自分探しに忙しい。見せるファッションから纏うファッションに変えて、内面をさらけ出さなければならないという強迫観念から逃れてみたら、案外、楽になれるかもしれない。

さて、「美しさ」はどこにあるのだろうか。見せるファッションでは、自分自身に、他方、纏うファッションでは自然の中に美しさを見出すことになろう。聖典クルアーンは、≪アッラーの色染めというが、誰がアッラーよりも良く色染め出来ようか。わたしたちが仕えるのはかれである≫とする(雌牛章138)。つまり、もっともよく色づけられるのは、唯一絶対の創造主、アッラーということなのである。自然の美しさを纏うということは、アッラーの創造された完璧な色づけを纏うということなのである。そうした色づけの中に溶け出して自分を守ってもらうのが、つまり纏うファッションであるとも言えそうだ。

だから、纏うファッションの色使いは自然環境に大きく左右される。砂漠ではモノトーン、熱帯雨林では原色。四季があれば、季節ごとに纏う色も変化するというものだ。アッラーの色づけを纏いながら、自分を大切にする。ひたすらに目立つ色づけを使いながら、自分をさらけ出す見せるファッションでは、誰も自分を守ってはくれない。

紺碧の海と空、黄金色に光を放つ夕日、遠くに浮かぶ富士のシルエット。この一瞬の風光にもアッラーはおわします

篤信という衣装こそが優れたもの

赤だ、青だ、緑だ、オレンジだ、同じ政治的主張を掲げる人々のまとまりを色で表現することがある。2000年以降は、カラー革命という言葉も誕生した。アメリカにトランプ政権が誕生して、人々の色分けがグローバルレベルで一気に加速する状況だ。そこにいるのは、自分たちの存在と主張を「見せよう」と躍起になっている特定の色をもった人々の姿だ。纏うでもよいし、見せるでもよいかもしれないが、聖典クルアーンは、≪篤信という衣装こそ最も優れたものである≫(高壁章26)と教える。縋(すが)るべきは、国家や民族といった集団の排他的な利益ではない。すべてを創造し、色づけした創造主に対する畏敬の念である。

モデルツアー作りの撮影取材も終盤を迎え、新江ノ島水族館の相模湾を臨むデッキをイルカのプールへ移動中のこと、富士山のシルエットがひときわ目を引く、相模湾の夕暮れに包まれた。イスラーム的に言えば、これぞアッラーが存在することの徴(しるし)としか言いようがないような光景である。集団からはすでにかなり遅れていた2人ではあったが、デッキの手すりに駆け寄り、身を乗り出すようにしてシャッターを盛んに押していた。

2人のシルエットが、風景に溶け出していたことは言うまでもない。イスラーム的な纏うファッションに身を包んだ人々が、江の島の風景に溶ける日もそう遠くないのかもしれない。

参考文献
野中葉『インドネシアのムスリムファッション―なぜイスラームの女性たちのヴェールはカラフルになったのか―』福村出版、2015年
慶應義塾大学奥田敦研究室『ハヤート』第5号、特集「ハラール・ファッション」、2015年

プロフィル

おくだ・あつし 1960年、神奈川県生まれ。84年、中央大学法学部卒。現在、慶應義塾大学総合政策学部教授。法学博士。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科委員。SFC研究所イスラーム研究・ラボ代表。シリア国立アレッポ大学学術交流日本センター副所長。専門はイスラーム法およびその関連諸領域。著書・訳書・論文・共著の書籍など多数。『イスラームの人権―法における神と人―』(慶應義塾大学出版会)は、イスラームの心を伝える日本では数少ない著作である。